おこめの“わわわ”とは
「北広島町 おこめの“わわわ”プロジェクト」とは?
「全日本お米グランプリ」や日本一に輝いた地元ブランド米など、北広島町のお米が注目されています。
そこで「お米の味力(みりょく)」と「町の魅力」を掛け合わせ、北広島町のお米をおいしく食べてもらいながら町の観光も楽しんでもらいたい。
「北広島町は世界一おいしく楽しくお米が食べられる町」を目指して町のみんなで“輪”になって“和”やかに“話”し合いながら“わわわ”コンテンツを開発・磨き上げて発信しています。
北広島町観光資源相関図
(おこめの“わわわ”コンテンツイメージ)
北広島町と稲作文化
宮島厳島神社の荘園であった北広島町
中世の頃、北広島町大朝(平田の荘)は宮島厳島神社の荘園でした。空海(弘法大師)ゆかりの宮島の大聖院は厳島神社の祭祀を執り行っていました。当時は白米の他、古代米(赤米や黒米など)が栽培されており、空海が宮島の弥山に修行道場を開いて1200年目にあたる2006年、弥山開創を祈念して大朝新庄で再び栽培されるようになりました。
栽培が始まって数年後の春から大聖院の御用田がある新庄地区において厄災除けと豊作を祈る護摩法要を行い、地元小学校の児童と地元農家が力を合わせて種まき、育苗、田植え、見回り、稲刈り等多くの手間をかけて育てています。
児童はお米の歴史や宮島や大聖院との縁を学び、大聖院へ奉納も行ってきました。
(大朝地域協議会ホームページより引用)
花田植とは
田植作業を行いながら、そのまま稲作の平穏と豊穣を祈って「田の神」を祭る稲作儀礼であり、同時に苦しい田植え作業に従事する者の慰安や、当時の農村における数少ない娯楽としての要素を持つ一大行事でした。
この囃子田に参加する牛には豪華な花鞍を更に造花で飾り、太鼓や笛の音にあわせて、着飾った早乙女達が苗を植える。この様子があまりにも華やかであるところから花田植と呼ぶようになったと言われています。2011年ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
芸北神楽の誕生
神楽とは秋の実りに感謝し、奉納する舞いに神話や伝説を取り入れた神事の際に神様に奉納される伝統芸能です。
地方から山県郡全域に伝わった「旧舞」と言われるものと、石見地方から終戦後に伝わった「新舞」と言われるものとが北広島町東部で合流し、この地方の民俗芸能として伝承されています。60以上の神楽団が北広島町内で活動しています。この数は日本一と言われています。
米どころ北広島町
世界遺産の宮島厳島神社の荘園としてお米を栽培してきた北広島町。
広島県内一広い面積を持つ山間の町のいたるところに田が広がっています。
暑い夏や雪が積もる厳しい冬の気候、山に囲まれた土壌や風土、その広さ故、多様な異なる環境に農業生産者がチャレンジを積み重ね約20種類もの品種の米を育ててきました。
長い稲作の歴史のある北広島町では「花田植」や「神楽」など稲作文化を生みました。その息吹は次世代に受け継がれ、今も息づいています。
2022年から始まった「全日本お米グランプリin北広島町」では町内の多くの農業生産者が準グランプリをはじめ、金賞・銀賞に輝いています。2024年1月、京都の老舗米屋、八代目儀兵衛主催お米コンテストで「いのちの壱」(商品名「わさの舞」)が最優秀賞の受賞を果たしました。
「もっと多くの人に知ってもらいたい、食べてもらいたい。」「もっとおいしくお米を食べてもらいたい。」新たなチャレンジが始まっています。
\ココがスゴい!/北広島町のお米
恵まれた風土の中で、古くからの稲作文化を絶やさず、大切にしてきたからこそ、今の米どころ北広島町があります。
さらに、農業が身近にある町ならではの農家を応援する新しい取り組みも始まっています。
- 広島県内トップクラスの作付面積!
- 北広島町 約2,034ha
- 東京ドーム
約 442 個分
の広さ
- 稲作の様々な伝統文化・行事を継承!
- 神楽団の数は日本一
(活動中の団体/大人49団体、子ども15団体) - ユネスコ無形文化遺産「壬生の花田植」
(平成23年11月27日認定) - 国の重要無形民俗文化財「新庄のはやし田」
(平成9年12月15日「安芸のはやし田」の名で指定)
- 気候を生かした21種類の多品種生産!
- コシヒカリ、あきろまん、ひとめぼれ、あきたこまち、あきさかり・・・など
※北広島町農林課調べ
- 全国のお米の中で、美味しさの高評価!
- 「全日本お米グランプリin北広島町」
(中国四国地方初の全国規模コンテスト定期開催) - 2022年開催 第1回 準グランプリ1点、銀賞7点入賞
- 2023年開催 第2回 金賞3点、銀賞8点入賞